世界のサンプルリターン


月に行った事があるのはアメリカ人だけです。アポロ11号の船長「ニール・アームストロング」と月着陸船操縦士「エドウィン・オルドリン」が人類初です。1969年7月20日、月面に着陸し21時間30分滞在しました。アポロ計画は17号で終了、終了する1972年12月までに月へ行ったのは合計12人、それ以前も以降も無人機しか行ってません。約50年前のお話。

■ 有人機のサンプルリターン
1969年07月24日:米:アポロ11号【月】22kg(22000g)
1969年11月24日:米:アポロ12号【月】34kg
1971年02月09日:米:アポロ14号【月】43kg
1971年08月07日:米:アポロ15号【月】77kg
1972年04月27日:米:アポロ16号【月】95kg
1972年12月19日:米:アポロ17号【月】111kg

■ 無人機のサンプルリターン
1970年09月24日:露:ルナ16号【月】101g
1972年02月25日:露:ルナ20号【月】55g
1976年08月22日:露:ルナ24号【月】170g
2004年09月08日:米:ジェネシス【太陽風】粒子
2006年01月15日:米:スターダスト【ヴィルト第2彗星】100万の粒子
2010年06月13日:日:はやぶさ【小惑星イトカワ】1500の微粒子
2019年12月→:中:嫦娥4号【月】?
2020年12月→:日:はやぶさ2【小惑星リュウグウ】1〜10g
2023年09月→:米:オシリス・レックス【小惑星ベンヌ】60g〜2000g


宇宙開発はソビエト連邦(ロシア)が何度も世界初を成し遂げていたのですが、月への有人飛行や着陸はアメリカに敗北、それまでの輝かしい成果が吹き飛ぶ程のショックを与えたようです。因みに、アメリカの宇宙開発が遅れた原因に核兵器の小型化があります。ソ連の核兵器は大きいのでミサイルも大きかった、宇宙に届くロケットの開発もスムーズに行われた(ロシア語にはロケットを意味する言葉はなく全てミサイル扱いです)核兵器の小型化に成功してしまった分アメリカはロケットの大型化に苦労した訳です。

1957年10月04日:世界初の人工衛星「スプートニク1号」
1958年01月31日:米国初の人工衛星「エクスプローラ1号」
1959年01月02日:世界初の人工惑星「ルナ1号」
1959年03月03日:米国初の人工惑星「パイオニア4号」
1959年09月12日:世界初:月に当てる「ルナ2号」
1959年10月04日:世界初:月の裏側を撮影「ルナ3号」
1961年04月12日:世界初:有人宇宙飛行(地球1周)

1961年05月05日:米国初:有人弾道飛行(15分間)
1962年02月20日:米国初:有人宇宙飛行(地球3周)
1964年10月10日:衛星による東京オリンピック世界中継
1965年03月18日:世界初:宇宙遊泳「ボスフォート2号」
1966年02月03日:世界初:月に軟着陸「ルナ9号」
1966年04月03日:世界初:月周回探査機「ルナ10号」

1968年12月21日:世界初:米国初:有人による月周回
1969年07月20日:世界初:米国初:有人による月着陸
1970年02月11日:日本初の人工衛星「おおすみ」

ニール・アームストロング
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」




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