ウォーレス・カロザース


ウォーレス・カロザース

ウォーレス・ヒューム・カロザース(Wallace Hume Carothers 1896年4月27日生)
 [アメリカ・化学者]


 アイオワ州バーリントン生まれ。デュポンの有機化学部門のリーダーとして、世界で初めて高分子から成る化学繊維を発明した。デラウェア州ウィルミントン近郊にあるデュポンの研究所でグループリーダーを務め、そこで重合体の研究の大部分を行った。そこでカロザースはネオプレンの基礎となる研究を行い、ナイロン開発を行った。博士号取得後デュポンで基礎研究をする前は、いくつかの大学で教職についていた。

 カロザースは地位を維持するために必要である講演を嫌悪していた。1932年1月の親友のフランシス・スペンサーへの手紙で「私はニューヘイブンに行き、有機化学のシンポジウムで講演した。講演自体はうまくいったが、原稿を書くためにその前の週がまるごとつぶれ、神経を鎮めるためにアルコールに頼らざるを得なかった。時を経るにつれ、私の神経質さ・不機嫌さ・動揺は悪化しており、飲酒して逃避する回数が増えているが根本的解決には全くなっていない。1932年は今の私にとっては暗黒だ」と書いている。カロザースはうつ病を患っていた。

 1936年2月21日、1934年から付き合っていたヘレン・スイートマンと結婚。スイートマンは化学の修士号を持っており、デュポンにて特許出願を扱う仕事に就いていた。その直後の1936年4月30日、産業界の化学者として初めてアメリカ科学アカデミーの会員に選ばれた。科学への貢献が認められた栄誉だったが、同年6月になってもカロザースはうつの症状に悩まされ続けていた。6月初め、不本意ながらフィラデルフィアの有名な精神科の病院に入院。合成繊維のナイロンで成功したが「達成できているモノは何もなく才能が枯渇した」と考えるようになる。1937年1月8日、妹イゾベルが肺炎で死去するという不幸も重なり、1937年4月28日、チェックインしたフィラデルフィアのホテルの一室で青酸カリを混ぜたレモンジュースを飲んで死亡。化学者であるカロザースは酸性溶液が青酸の毒性を強めることを知っていた。遺書は見つかっていない。自殺のおよそ7ヶ月後(1937年11月27日)に彼の娘は誕生した。

 カロザースの発明したナイロンは、綿から合成繊維への転換をもたらし、世界を変える偉大な発明である。しかしながら死亡した当時は、ナイロンはデュポン社の企業秘密だったため、功績の大きさにもかかわらず、カロザースは無名のままこの世を去った。2000年11月にアメリカ科学振興協会はカロザースを表彰した。

 1937年4月29日死去(享年41)





w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ