津留静生



津留静生(つるしずお 1932年生)
 [死刑囚]


 津留は、1960年に職場の女性と結婚した。この時の彼女の条件は、津留の両親との同居は仕方ないとして、家を改築して風呂を新設して欲しいということだった。津留は兄弟から老いた両親を押し付けられていたため、結婚の条件として彼女の言いなりになるしかなかった。だが、結局妻と姑の折り合いが悪く別居。その後、子供が生まれたのを機に父親に出資してもらい家を新築して再び同居生活が始まった。しかし、妻と姑の対立は悪くなる一方で、妻と子供はアパートを借りて出て行ってしまい、津留が週末にアパートに通うという状態に置かれてしまった。そこで、津留は大きな二世帯住宅の家を作れば万事がうまくいくと考えるようになった。そのためには大金がいる。ここで一発大きな事をしてやると、以前勤めていた製鉄会社で何となく手に入れた青酸塩を思い出し、市のボーナス支給日に現金輸送員を毒殺して現金を強奪することを計画した。

 1964年12月15日10時頃、津留は顔見知りである福岡県筑後市の市役所職員3人が、銀行で筑後市職員支給分ボーナス約2000万円を受け取ったのを見計らって職員らの車で待ち伏せ、津留は戻ってきた3人に「疲れが取れるよ」と言って栄養ドリンクを渡した。ところが職員のうち2人はドリンクを飲んだが、もうひとりの職員は口をつけた瞬間、苦い味がしたので吐き出したため計画は破綻。このままでは逮捕されると思った津留は、自分も被害者に見せかけるため咄嗟に青酸塩入りのドリンクを軽く飲んだ。職員2人は間もなく死亡し、重体に陥った津留は病院に運ばれたが命は取り留めた。

 警察はボーナスを狙った犯行と見て捜査本部を設置し、唯一助かった職員に経緯を確認した。その結果、津留が突然現れて栄養ドリンクを勧めたことが判明、警察は津留を犯人と断定し家宅捜索を開始したところ、青酸塩の粉末が発見された。警察は、津留も重体に陥っているが、捜査を欺くため軽く飲んだと結論付け、回復した津留は12月28日になって犯行を自供し、逮捕された。

 1970年1月に津留の死刑が確定。1975年10月3日、福岡拘置所で死刑執行当日の朝に、前日死刑執行を通知されていた津留は左手首を剃刀で切り付け自殺を遂げた。当時は当該死刑確定者に前日または前々日に執行の予定を告げ、死刑確定者の希望する食事をできる限りの範囲で与え、特別の入浴や親族との面会を許可し、同囚や宗教教誨師や担当刑務官らを交え「お別れ会」を行うこともあった。しかし、津留の自殺をきっかけにそれ以降は死刑囚への執行を前日に通知しなくなったとされる。

 1975年10月3日死去(享年43)


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