ラウール・レヴィ


ラウール・レヴィ

ラウール・レヴィ(Raoul Levy 1922年4月14日生)
 [フランス・映画プロデューサー/脚本家]


 ベルギー・アントウェルペン生まれ。1945年、アメリカに渡り、RKOで製作助手を経験、メキシコでの撮影に参加。ヨーロッパに戻ってからは、アンソニー・マン監督やアラン・ドワン監督らのBムーヴィーを得意とするプロデューサーエドワード・スモールの欧州代理人をしていた。1950年、「イエナ・プロデュクション」社を設立、映画製作を開始した。1955年、第8回カンヌ国際映画祭でロジェ・ヴァディム監督とその妻で女優のブリジット・バルドーと出会い、『素直な悪女』の製作を決意。みずからの手でヴァディムのあたためていた脚本を書き換えて、当時の最新技術であるカラー映画、シネマスコープで翌1956年公開、アメリカナイズされたこの映画は大ヒットを記録する。当時まだ34歳であった若手プロデューサーの登場と成功が、ヌーヴェルヴァーグの作家が製作者サイドに注目されるための経済的根拠となった。

 1962年、クリスチャン=ジャック監督、アラン・ドロン主演で着手した70ミリ超大作『Marco Polo』は、その後、『荒野の七人』のホルスト・ブッフホルツに主役を交代、監督もドニス・ド・ラ・パテリエールに交代して、さらに共同監督としてニコラス・レイの超大作『北京の55日』(義和団の乱、1963年)のスペインロケを仕切ったB班監督ノエル・ハワードを招き、またレヴィみずからも一部演出に乗り出すという混乱を経て、『マルコ・ポーロ 大冒険』として1965年8月6日、ようやくフランスを皮切りに公開するも惨敗、「イエナ・プロデュクション」社は破産した。8月11日、『マルコ・ポーロ』公開の1週後にあたるこの日、初監督作『二人の殺し屋』を公開した。主演エディ・コンスタンティーヌ、撮影監督はラウール・クタールを初の起用。レヴィのプロデュース作品の撮影は、『素直な悪女』から『マルコ・ポーロ』まで、監督が変わっても例外なくアルマン・ティラールが支えて来たのだが『マルコ・ポーロ』をもって決別、「イエナ」社破産以降の本作を含む遺作に至る3作品では、いずれもクタールと組むこととなった。

 1966年8月20日、監督第二作『ザ・スパイ』が西ドイツ先行で公開。フランスは11月。主演にモンゴメリー・クリフト、音楽にはセルジュ・ゲンスブールを起用、ジャン=リュック・ゴダールが俳優としてノンクレジットで出演したが、同年12月31日、レヴィはフランス・サントロペのホテルで拳銃自殺した。プロデューサーとして失墜、監督に転向後も興業的に失敗続きだったことが原因といわれている。没後の1967年3月17日、『野性の誘惑』のマリナ・ヴラディを主演に起用したレヴィ最後のプロデュース作、ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』がパリで公開された。本作には大きな役でレヴィは出演しており、彼の最後の姿を観ることができる。

 1966年12月31日死去(享年44)


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