清水喜一郎



清水喜一郎(しみずきいちろう 1924年5月10日生)
 [プロ野球選手]


 東京都出身。京王商業学校(現・専修大学附属高等学校)在学中は、1941年に第27回全国中等学校優勝野球大会(日中戦争悪化により中止)東京府大会で準優勝(決勝で帝京商業学校〔現・帝京大学中学校高等学校〕に0−14で大敗)。翌1942年に戦時下の甲子園大会に出場した(初戦で、この大会優勝の徳島商に延長14回の激闘の末、1−2で惜敗)。京王商業時代のチームメイトに貫井丞治がいる。京王商卒業後は、貫井と共に明治大学でプレーした。

 1946年、貫井、大下弘と共に明治大学出身者を獲りたいチーム方針から、セネタースに入団した。同年7月19日のパシフィック戦(西宮球場)でデビューした。打撃面ではやや難があったが、守備で活躍。「ペンギン」のあだ名で、飄々としたプレーで人気を博した。当時選手兼任監督だった苅田久徳との二遊間は「鉄壁の内野」と謳われたが、本人は苅田の名プレーに自信喪失気味だったと伝わる。1947年シーズン終了後、現役引退した。

 引退後は、世田谷区太子堂のネクタイ店「神崎商店」に勤務した。その後、ネクタイの外商、宝石商を営むがいずれも失敗し、1964年2月28日、玉川上水に入水自殺した。まだ39歳の若さだった。

 1964年2月28日死去(享年39)


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