ウィリアム・ラーンド


ウィリアム・ラーンド

ウィリアム・オーガスタス・ラーンド(William Augustus Larned 1872年12月30日生)
 [アメリカ・テニス選手]


 ニュージャージー州サミット出身。コーネル大学卒業。全米選手権男子シングルス優勝7回は現在も大会歴代1位タイ記録。グランドスラム優勝7回は1925年にビル・チルデンに抜かれるまでは歴代1位タイ記録だった。アメリカ人のテニス選手として、最も早くウィンブルドン選手権に遠征した選手の1人でもあり、1896年と1905年の2度ウィンブルドンに出場した。1900年から始まった男子テニス国別対抗戦「デビスカップ」においても、黎明期のアメリカ・チームをリードした。彼のテニスは、サイドラインぎりぎりに決める正確なグラウンド・ストロークを中心に、攻撃的なオールラウンド・プレーを得意にした。

 1898年に起きた米西戦争で、ラーンドはセオドア・ルーズベルト(後のアメリカ第26代大統領)が結成した志願兵組織「ラフ・ライダーズ」の一員としてキューバに赴いた。ラーンドはその従軍期間中にリウマチ熱に感染し、これが彼の後の人生に暗い影を落とすことになる。

 1912年、感染したリウマチ熱の症状があらわれ、39歳で現役引退を余儀なくされた。競技テニスからの引退後、ラーンドは1922年に鉄製フレームのテニスラケットを発明し、ラケットの販売会社を設立した。リウマチ熱の症状はさらに悪化し、最後は脊髄膜炎で体が麻痺しはじめた。病状悪化に絶望した彼は、54歳の誕生日を迎える2週間前の1926年12月16日にニューヨークの自宅でピストル自殺を遂げた。1954年に国際テニス殿堂が設立され、ウィリアム・ラーンドは1956年に第2回の殿堂入りを果たしている。彼は全米選手権出場「19回」の記録も打ち立てたが、後にジミー・コナーズが1970年から1992年までの間に「22回」の最多出場記録を樹立し、ラーンドの記録を80年ぶりに更新した。

 1926年12月16日死去(享年53)


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