諸田コウ


諸田コウ

諸田コウ(もろたこう 本名:諸田耕 1963年2月6日生)
 [ベーシスト]


 12歳よりフォークギターを始め、翌年にはエレクトリックベースを手にしバンド活動を始める。後にフュージョンやジャズにも影響され、ウッドベースも演奏するようになる。1985年6月、ハードコア・ヘヴィメタルバンド「DOOM」を結成。当時のメンバーは諸田と藤田タカシの2人で、リズム・マシンを使ってジャム・セッションを繰り返しつつ、ドラマ−探しを行っていた。同年、初ライヴを行うが、この時のドラマーはヘルパーとして参加したYOSHIKI(X)であった。1986年1月、広川錠一が加入。直ぐにデモテープ「DOOM」を作成。プログレ、ハードコア、ブルース、ジャズなど多ジャンルの影響から独自のサウンドを生み出し、白塗りメイクの強烈なインパクトと共に、他を寄せ付けない圧倒的なオリジナリティを獲得。5月、インディペンデント・レーベル、エクスプロージョンより4曲入りファースト・シングル「Go Mad Yourself!」リリースし、7000枚を完売。1987年2月、ビクター・インビテーションより、オムニバスLP『Skull Thrash Zone』を発表。2曲参加。アルバムに参加したX、ROSE ROSE、Jurassic Jade、Ground Zero、SHELL SHOCKらと共に発売記念ツアーを行う。4月、エクスプロージョンよりアルバム『No More Pain...』リリース。5000枚のセールスを上げ、インディーズ・チャート1位となる。また海外においても、その音楽性が高い評価をうけ、発売直後にもかかわらず電話での問い合わせが殺到するほどであった。ドイツのスラッシュ・メタル誌に登場するなど、ヨーロッパを中心にニューヨークなどでも大きく注目される。

 1988年2月、ビクターからミニアルバム『Killing Field...』でメジャーデビュー。アルバムのトラックダウンを行う為に渡米。10月14日〜19日、アメリカ・ニューヨークのライヴハウスNEW YORK PYLAMID、NEW YORK CBGBなど4ヶ所でライヴを行う。10月19日に行われたCBGBでのライヴは道具を持参していなかったためノーメイクに普段着で登場。オーディエンスの反応が最初は冷やかであったが、演奏が始まってからは彼らに釘付けとなり、諸田のベースプレイを真似する者も現れた。最後には観客を熱狂させアンコールまで起こったという。12月、アルバム『Complicated Mind』を発売。1989年3〜7月にアルバムレコーディングの為、再びニューヨークへ。CBGBをはじめ、アメリカ東部海岸沿いにあるライヴハウスのツアーも敢行。8月、アルバム『Incompetent...』を発売。1991年3月、アルバム『HUMAN NOISE』を発売。1992年、DOOMのメンバーにBAKI(GASTUNK)を加えたクオーターゲートのアルバム『QUARTERGATE』を1月にリリース。11月、アルバム『Illegal Soul』を発売。1993年、COCOBATとのカップリング・アナログ盤シングルをリリースする。1994年、諸田は病気を患いDOOMを脱退する。1997年、諸田はソロアルバム『生∞死』を発表。また、BAKIが在籍していたバンド「#9」にも参加した。その後、元CATCH-UPのハコザキミナコと当時DRUMKANのギタリストであったGORO SHIMIZU、広川との4人でバンド「えがおドラミ」を結成。以後、精力的なライブ活動を展開した。

 1999年5月7日、諸田は不慮の事故により急逝。釣りをしていた際、誤って海に転落したと言われている(自殺説あり)。諸田は非常にテクニカルな演奏力を持つ事で知られ、フレットレスベースから繰り出される恐ろしくテンションの高い演奏は圧倒的な存在感があり、HR/HM界のジャコ・パストリアスと称される程の実力を誇っていた。『Complicated Mind』のミキサーを務めたスティーヴン・リンズレーは「諸田のプレイは見ていて身の毛がよだつほどだった」と後年インタビューで語っている。

 1999年5月7日死去(享年36)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ