ウィリアム・カペル


ウィリアム・カペル

ウィリアム・カペル(William Kapell 1922年9月20日生)
 [アメリカ・ピアニスト]


 ニューヨークでロシア系ユダヤ人の家系に生まれ、当地でドロテア・アンダーソン・ラフォレットに師事した後、フィラデルフィア音楽院及びジュリアード音楽院でオルガ・サマロフに師事した。直接的で透明感のある力強い演奏と、卓越した技巧、幅広く冒険心溢れるレパートリーが特徴で、音楽評論家のハロルド・ショーンバーグに「第2次世界大戦終焉後世代における最も有望なアメリカ人ピアニスト」と称されたが、英連邦太平洋航空304便墜落事故の犠牲となり31歳の若さで没した。

 英連邦太平洋航空304便は、オーストラリアから北米を結ぶ路線で運航されていた。カペルはオーストラリアでのリサイタルを終えて、アメリカへ帰国するため当該機に搭乗していた。1953年10月29日、同便はシドニーからナンディ(フィジー)、カントン島、ホノルルに寄航した後、サンフランシスコ国際空港への着陸アプローチ中に墜落し、カペルを含む乗員乗客19人が死亡した。事故機となった304便には、乗員8人と乗客11人が搭乗しており、収納能力からすると搭乗率はかなり低かった。ホノルルから9時間25分の飛行時間の後でサンフランシスコの海岸に近づいた午前8時7分に、機長は管制塔に連絡した。そのとき彼は有視界飛行をしており、高度500フィートよりも下が雲に覆われていると通報した。午前8時15分に、304便は降下を始めたが、午前8時44分に標高1950フィートの山地に激突した。機体は半マイルの範囲に飛散していた。

 民間航空委員会による事故調査によれば、当時現場付近はサンフランシスコ特有の朝霧に覆われており、地表の様子はわかりにくかった。にもかかわらず304便は計器着陸による決められた着陸アプローチを行っていなかったとして、パイロットミスによる事故と断定された。ちなみに、同じくピアニストのウラディミール・ホロヴィッツがカペルの訃報を聞いた際に「これで私がナンバーワンだ」と語ったという逸話が存在するが、真偽のほどは不明である。

 1953年10月29日死去(享年31)


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