ピアス・カレッジ


ピアス・カレッジ

ピアス・レイモンド・カレッジ(Piers Raymond Courage 1942年5月27日生)
 [イギリス・レーシングドライバー]


 エセックス州コルチェスター出身。イギリスのビール醸造メーカー、カレッジ・ブルワリーの経営者一族の出身。イートン・カレッジ卒業後、会計事務所で働くが、1963年に退職し、友人のジョナサン・ウィリアムズと本格的にレース活動を始める。1967年1月2日の南アフリカグランプリで、ロータスとBRMのシャシーを使用するプライベートチーム、レッグパーネルからF1デビュー。2年間在籍した後、1969年にはブラバムのシャシーを使用するフランク・ウイリアムズのチームに移籍、二度の2位表彰台を獲得する活躍を見せた。この活躍にフェラーリも誘いをかけるほどであったが、結局翌年も残留することとなった。

 1970年にチームは、デ・トマソのシャシーを使用していたが前年に比べ予選順位も奮わず、決勝レースでも完走を果たせずにいた。こうして迎えたザントフォールト・サーキットでの第5戦オランダグランプリにおいて彼の乗った車はイースト・トンネル手前の右コーナーでスピンし、外側ガードレールに衝突してコースアウト(このサーキットをよく知るジャッキー・イクスは、このコーナーでのカレッジのシフトワークが危険であるとカレッジ自身に注意を促していた)。さらにその先のイースト・トンネルの橋の欄干に激突し、コース横の草地に転落し炎上、カレッジは死亡した(車が炎上した時点で即死していた)。28歳の若さであった。
ピアス・カレッジ2

 フランク・ウイリアムズや特に親しかったヨッヘン・リントは彼の死により大きなショックを受けることとなった。

 1970年6月21日死去(享年28)





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