ビル・アイビー


ビル・アイビー

ウィリアム・デビッド・アイビー(William "Bill" David Ivy 1942年8月27日生)
 [イギリス・オートバイレーサー]


 イングランドのケント州メイドストーン出身。アイビーのレースキャリアは1959年、地元にあったブランズ・ハッチから始まった。グランプリへの初参戦は1965年、125ccと250ccのレースにスポット参戦し、それぞれ4位と3位という好成績を収めた。そして1966年、ヤマハのワークス・チームから125ccクラスにフル参戦を開始したアイビーは開幕戦のスペインGPでいきなり初優勝を遂げ、この年は更に三つの勝利を重ねるという好調ぶりであった。しかし、スイス人ライダーのルイジ・タベリはシーズン5勝を挙げるというアイビーの上を行く好調ぶりで、アイビーはわずか6ポイント差でタイトルに届かずランキング2位となった。そして翌1967年、全12戦中8勝を挙げて完全に125ccクラスを支配したアイビーは、2位のフィル・リードに16ポイントの差をつけてタイトルを獲得した。アイビーはこの年、250ccクラスでもフランスとベルギーで優勝している。

 1968年の125ccクラスと250ccクラスは、アイビーとチームメイトのリードが完全にチャンピオンシップをコントロールしていた。ヤマハ・ファクトリーは両クラスのタイトルをより確実なものとするため、リードには125ccクラスタイトルを、アイビーには250ccクラスタイトルを獲らせるよう戦略を立てていた。ところがリードは125ccクラスのタイトルを決めた後、ヤマハのチームオーダーを無視して250ccクラスでもアイビーと同ポイントで並んでしまう。結局チャンピオンはレースの総合タイムによって決定するという判定が下され、その結果タイトルはリードのものとなった。この展開に憤慨したアイビーは、ロードレースから引退して翌年からは4輪のフォーミュラ2に転向することを発表した。

 1969年、1度は2輪からの引退を発表したアイビーであったが、早々にチェコスロバキアのメーカーであるヤワの誘いによって、今度は350ccクラスのライダーとしてグランプリに戻ってきた。シーズンが始まるとアイビーは2レースでジャコモ・アゴスチーニに次ぐ2位に入るなど、相変わらずの速さを見せた。ところが第5戦東ドイツGPの予選中、パドックに戻るためにヘルメットを脱いでタンクの上に置き、流して走っていたアイビーのマシンのエンジンが突然焼きつきを起こしてしまう。マシンから投げ出されたアイビーは頭部に深刻なダメージを負い、病院で息を引き取った。アイビーの訃報を聞いたフィル・リードは、前年のアイビーとの確執について関係修復の機会が失われてしまったことを「タイトルは獲ったが友人を失った」と語った。

 1969年7月12日死去(享年26)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ