山口冨士夫


山口冨士夫

山口冨士夫(やまぐちふじお 1949年8月10日生)
 [ミュージシャン]


 東京都出身。1949年、日本人の母と、イギリス人の父の間に生まれる。しかし幼少時は孤児院で育った。1965年、先輩の瀬川洋、幼馴染みの吉田博らと「ザ・モンスターズ」を結成。1967年、「ザ・ダイナマイツ」に改名し、ギタリストとしてデビュー。リードボーカルを務めたデビュー曲『トンネル天国』はスマッシュヒット。グループ・サウンズ・ブームの中で人気を博すも、1969年大晦日のステージで解散した。

 1970年代初頭、京都に移住し、盟友・チャー坊(柴田和志)と共に伝説のバンド「村八分」を結成。日本のロックバンドのパイオニアとして独自なスタイルを築く。過激な歌詞、客に媚びないステージは後のパンク・ロックにも通じた。1973年5月、京都大学西部講堂にて伝説のラストライブを行い、このライブを収録した活動中唯一の正式音源『ライヴ』をリリース。バンドは同年8月に解散したが、このアルバムにより彼らの噂は全国的なものへ広がって行った。

 1974年、初のソロアルバム『ひまつぶし』をリリース。発売から10日後、名古屋市公会堂で行われたお披露目ライブは3曲のみ演奏し唐突にステージを去って客は唖然となった。1979年、「村八分」を再結成するも、再び自然消滅するなど、断続的な活動が続いた。1987年、元村八分の青木真一、フールズの中島一徳、佐瀬浩平と「ティアドロップス」を結成。シングル『いきなりサンシャイン』でデビュー。1988年、1stアルバム『TEARDROPS』をリリース。また、忌野清志郎との交流からRCサクセションのアルバム『COVERS』のレコーディングに参加した。1989年、2ndアルバム『らくガキ』で東芝EMIよりメジャー・デビュー。また、忌野清志郎との共演シングル『谷間のうた』をリリース。1990年、サンフランシスコでレコーディングした3rdアルバム『MIXIN’LOVE』をリリース。1991年、4thアルバム『LOOK AROUND』をリリースした後、「ティアドロップス」は活動停止した。

 2007年に体調を崩して一切の活動を停止していたが、2008年11月、古巣のライブハウス原宿クロコダイルでライブ活動を再開。数年はリハビリも兼ねた断続的なライブ活動であったが、その後、新たなバンドスタイルで若者のロックイベントなどにも参加し貫禄のステージをみせていた。

 2013年7月14日、東京都福生市の福生駅前のタクシー乗り場で、アメリカ人の男が別の男性を一方的に殴る現場に遭遇し、止めに入ったところ突き飛ばされて後頭部を打った。それにより急性硬膜下血腫を起こし、都内の病院に入院していたが、8月14日に脳挫傷のため死去した。なお、アメリカ人の男は7月20日に傷害罪で逮捕され、8月9日に起訴された。

 2013年8月14日死去(享年64)


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