ヘクター・カマチョ


ヘクター・カマチョ

ヘクター・ルイス・カマチョ・マティアス(Hector Luiz Camacho Matias 1962年5月24日生)
 [プエルトリコ・プロボクサー]


 バヤモン出身。10代のころから喧嘩や万引きを繰り返し、麻薬常習者であり車泥棒であった。その性向は終生変わらなかった。家庭内暴力、規制薬物の所持、不法侵入、ライフル銃M16を通関させようとしたなど、様々な理由で何度も逮捕された。

 1980年9月12日、プロデビュー。1983年8月7日、ラファエル・リモンとWBC世界スーパーフェザー級王座決定戦で対戦し、5RKO勝ちで王座獲得。同王座は1度防衛後に返上。1985年8月10日、ホセ・ルイス・ラミレスとWBC世界ライト級タイトルマッチで対戦し、判定勝ちで2階級制覇に成功。同王座はエドウィン・ロサリオ、コーネリアス・ボサ・エドワーズ相手に2度防衛後に返上。1989年3月6日、レイ・マンシーニとWBO世界スーパーライト級王座決定戦で対戦し、判定勝ちで3階級制覇に成功した。

 カマチョは、スピードを持ったジャブの連打とステップ、回転の速いコンビネーションを武器とし、パンチをかわす技術が大変優れていた。入場時には「マチョ・タイム!」(おれの時間だ!)と連呼しながらリングインし、試合後のインタビューでも度々おちゃらけた態度を取りインタビュアーを困らせたりするなど、ラテン系特有の非常に陽気な性格であった。

 1991年2月23日、グレグ・ホーゲンと3度目の防衛戦で対戦し、判定負けで王座陥落。同年5月18日、再戦を行い、判定勝ちで王座に返り咲いた。1992年9月12日、フリオ・セサール・チャベスとWBC世界スーパーライト級タイトルマッチで対戦し、判定負け。1994年1月29日、フェリックス・トリニダードとIBF世界ウェルター級タイトルマッチで対戦し、判定負け。1996年6月22日、ロベルト・デュランと対戦し、判定勝ち。1997年3月1日、シュガー・レイ・レナードと対戦し、5RTKO勝ち。レナードが対戦した最後の相手となった。1997年9月13日、オスカー・デ・ラ・ホーヤとWBC世界ウェルター級タイトルマッチで対戦し、判定負け。2001年7月14日、ロベルト・デュランの保持するマイナータイトル・NBAスーパーミドル級王座を懸けて5年ぶりに再戦し、判定勝ち。2009年5月9日、ルイス・ラモン・カンパスと対戦し、1-1のドローとなった。

 2012年、息子を殴った容疑で逮捕状が出されると自首した。同年11月20日、プエルトリコサンファン市内のバーの前で、友人と停車した車に乗っていたところを、通りかかった車の中から銃撃され、顔の左側を負傷した。友人は死亡し、カマチョは脊椎を損傷し意識不明の重体になった。その後、脳死状態と判定され、同24日に容態が急変して心肺停止状態になったため、家族の同意のもと生命維持装置が外された後に、まもなく死去した。

 2012年11月24日死去(享年50)


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