マーティン・ルーサー・キング・ジュニア


マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr. 1929年1月15日生)
 [アメリカ・牧師]


 1929年、ジョージア州アトランタでバプテスト派牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。幼い頃から白人による黒人への人種差別に接していた。1944年にモアハウス大学に入学し、法律家と聖職のどちらを選ぶかで迷ったものの、結局父と同じ聖職者の道を選ぶことにし、1947年には牧師の資格を得、父親と同じくバプテスト派の牧師となった。1948年に卒業すると、ペンシルベニア州のクローザー神学校に入学してさらに3年間大学院生として学んだ。この時にマハトマ・ガンディーの思想を知り、深く傾倒してのちの活動に非常に大きな影響をもたらした。その後1955年にボストン大学神学部で博士号を取得した。ボストン大学に在学中に生涯の伴侶、コレッタ・スコット・キングと知り合って結婚に至った。

 1954年からアラバマ州モンゴメリーで牧師を務めていたが、1955年にローザ・パークス逮捕事件が起こる。独立以来アメリカでの人種差別は一般的状態で、白人中心社会が作られ、白人以外の人種は公共機関の使用も区別や制限が普通に広まっていた。そんな中で、バスの白人席に座っていたローザは運転手から立つように命ぜられたがこれを拒否したため彼女は警察に逮捕された。キングはこの事件に激しく抗議してモンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を計画し、運動の先頭に立った。この運動は382日間に及んで続けられ、黒人たちは自家用車などでネットワークを組んで抵抗を続けた。この運動の結果、1956年11月に連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決(法律上における人種差別容認に対する違憲判決)を勝ち取り、抗議運動は成功を収めた。

 キングはマハトマ・ガンディーの「非暴力」の思想に啓蒙され、この思想の元に人種差別を法的に失くそうと公民権運動を展開。アラバマ州バーミングハムでは、白人達の警察から鎮圧のために警察犬や高圧放水を受けても、キングたちデモ参加者達は暴力で反撃しなかった。この様子が国内外に広く報道されて、キングへの称賛と州政府や人種差別への批判が強まった。

 アメリカ各地で公民権運動が盛り上がりを見せる中で、キングたちは首都ワシントンにおいて、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大集会を企画した。1963年8月28日に行われたワシントン大行進は参加者が20万人を超える大規模なものとなり、公民権運動家や芸能人など多くの著名人も参加した。この集会においてキングは、リンカーン記念堂の前で有名な「I Have a Dream」(私には夢がある)を含む演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体で訴え広く共感を呼んだ。

 キングを先頭に行われたこれらの地道かつ積極的な運動の結果、アメリカ国内の世論も盛り上がりを見せ、ついにリンドン・B・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法が制定された。これにより、建国以来200年近くの間アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった。公民権運動に対する多大な貢献が評価され、キングに対し1964年度のノーベル平和賞が授与された。

 その後、キングは激化の一途をたどるベトナム戦争へのアメリカの関与に反対する、いわゆる「ベトナム反戦運動」を展開したが、1968年4月4日に遊説活動中のテネシー州メンフィス市内のロレイン・モーテルのバルコニーでその夜の集会での演奏音楽の曲目を打ち合わせ中に、白人男性で累犯のならず者、ジェームズ・アール・レイに撃たれる。弾丸は喉から脊髄に達し病院に搬送されたが、間もなく死亡した。墓標には「ついに自由を得た」と穿たれている。レイは国外に逃亡し、数ヶ月後、ロンドンのヒースロー空港で逮捕され、懲役99年の判決を受ける。その後、彼は服役中の1998年4月23日にC型肝炎による腎不全で死去した。

 暗殺の前日にキング牧師がおこなった最後の演説の最後の部分は以下のようなものであり、『申命記』32章のモーセを思わせる、自らの死を予見したかのような内容となっっている。
「…前途に困難な日々が待っています。でも、もうどうでもよいのです。私は山の頂上に登ってきたのだから。皆さんと同じように、私も長生きがしたい。長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。神の意志を実現したいだけです。神は私が山に登るのを許され、私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。」

 キングの暗殺を受けて、アメリカ国内の多くの都市で怒りに包まれたアフリカ系アメリカ人による暴動が巻き起こったが、葬儀が行われるとその怒りは悲しみに変わり、アフリカ系アメリカ人のみならず、多くのアメリカ人が葬儀に参列しその死を悼んだ。また、暗殺現場となったモーテルは国立公民権博物館となっている。アメリカではキングの栄誉を称え、1986年よりキングの誕生日(1月15日)に近い毎年1月第3月曜日を「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア・デー」として祝日としている。

 1968年4月4日死去(享年39)


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